AIと「人間のひらめき」― 創造性を拓く、これからの研究環境とは─【前編】

パートナーズの皆さまと私たちシックスハンドレッドホールディングスが、ともに研究環境の新しい未来を作っていくための学びの場として、定期的に開催しているスキリングイベント「PARTNERs LEARNING」。
15回目を迎えた2025年12月11日のイベントでは、第2回にもご登壇いただいた、脳研究の第一人者であり東京大学薬学部教授の池谷 裕二さんを再びお迎えし「AIと人間のひらめき ― 創造性を拓く、これからの研究環境とは」をテーマに、イベント前半は池谷さんによる単独講演、後半は当社代表・林との対談が行われ、加速するAI活用と、その先にある「人間にしかできない創造性」について、極めて深い議論が交わされました。
本コラムは、当日イベントに参加できなかった方や、参加後に改めて内容を整理したい方、また今回のテーマに興味を持っていただいたすべての方を対象に、当日のリアルな熱量と対談内容を凝縮してお届けします。
前編では、ゲストの池谷裕二さんによる講演をお届けします。
AIで「脳の未開の地」を切り拓く
皆さん、こんにちは。東京大学薬学部の池谷です。本日はよろしくお願いいたします。私は普段、薬学部に身を置きながら、実は「脳とAI」についての研究に明け暮れています。
現在、私は「ERATO脳AI融合プロジェクト」の代表として、脳の中にAIチップを移植し、それによって新たな知能を開拓するという研究をしています。実は、私たち人間の脳は本来持っている能力をほとんど使い切れていない。その眠っている力をAIで開拓できないか、というのが私の研究テーマです。
普段から「AIと人間の脳は何が似ているのか」「人間にしかできないことって何?」「逆にAIにしかできないことは?」といったことを、ラボメンバーとディスカッションしています。というのも、その違いが分からないと、脳とAIをくっつける意味がないからです。
さて、皆さんに質問があります。「人間の脳とAI、戦ったらどちらが強いのか?」「どちらの性能が高いのか?」という問いです。どう思われますか。少し挑発的な問いですが、実のところ、この質問に対する答えは明らかです。
「分野による」というのが正しいでしょう。例えば、囲碁の世界であれば、もう答えは明確で、プロの棋士であってもAIに勝つことはほぼ不可能なレベルにまで達しています。
「直感」は人間の専売特許ではない
囲碁や将棋、オセロといったボードゲームの中で、最も難しいのは何か。それは間違いなく囲碁です。将棋に比べても、囲碁の手の組み合わせは圧倒的に多い。そのため、囲碁でAIが人に勝てるかどうかというのは、AIの研究者にとって一種のベンチマークでした。
今ではAIの方が人間より強くなりましたが、その逆転が起こったのは2016年のことです。人間による棋譜を大量に学習した「アルファ碁(AlphaGo)」が、当時世界最強と言われていた韓国のイ・セドル九段と対局しました。
私はAIを専門にしていますから、この対局をリアルタイムで見ていましたが、当時の風潮としては「将棋はようやく勝てるようになってきたけれど、囲碁はまだまだ先だろう」という見方が一般的でした。世界中の誰もが、どこかで「人間が勝つのは当然だが、どれくらい強くなったんだろう」という感じで配信を見守っていたように思います。
ところが、蓋を開けてみれば結果は衝撃的で、人間は全く歯が立ちませんでした。対局後、イ・セドル九段が泣き崩れ、後に引退を決意してしまいます。AIに負けたからといって引退する必要など全くないはずなのですが、当時の彼には、囲碁界の顔としての責任や、計り知れない衝撃があったのでしょう。
ここで、皆さんに考えていただきたいことがあります。スーパーコンピュータを使っても、囲碁のすべての手を計算し切るには1億年、あるいは10億年かかると言われています。持ち時間の間に全て計算しきってるわけではないのに、AIはどうして次の石を打てるのでしょうか。
実は、AIは人間とほとんど同じことをやっています。盤面を見た瞬間に、膨大な可能性の中から「このあたりが怪しいな」と一気に候補を絞り込んでしまうんです。私たちはこの、本当はいろいろな可能性があるのに一気に絞り込んでしまう思考プロセスのことを、日常的な言葉で何と呼んでいるでしょうか。そうです「直感」です。
AIが「直感」を使って次の一手を絞り込んでいる。これは大きな驚きでした。
さらにもう1つ、驚くべきことがありました。第2局で見せた「伝説の37手」と呼ばれる一手です。「アルファ碁」がそこに黒い石を置いた瞬間、解説者は「AIがバグった」「プロなら絶対に打たない最悪の手だ」と断じました。しかし、対局が進むにつれてその一手がじわじわと効いてきて、最終的にはこれが原因で負けてしまうんですよ。
「アルファ碁」が強いのは、世界中のプロの棋譜を学習しているからです。しかし、この37手は人間が残した過去のどのデータにも存在しない一手でした。持っている知識を応用して、これまでにない新しい結論を導き出す。これを私たちは「アイデア」や「発想・創造」と呼びます。
つまり、直感や発想といった、人間が最も得意だと思われていた領域において、AIはすでに人間以上のパフォーマンスを発揮している。これは最も重要なポイントです。
「アルファ碁」を開発したチームのリーダーは、もともと脳の研究者だったデミス・ハサビスです。海馬の研究で相当の業績を上げていて、脳の学習方法を非常によく知っている。その知識を応用してAIの能力を高めていった結果、2024年にノーベル化学賞を受賞しました。
彼は、この「アルファ碁」の様子を見て「知性の目覚めだ」と語っています。
人間を超えるAIの豊かな「発想力」
「アルファ碁」の快進撃を見て、私は「そんなに発想力があるなら、人間の棋譜は教えない。ルールだけ教えてあげるから、あとは自分で考えて強くなってよ」と、少し意地悪なことを考えてみました。実際にハサビスさんのチームは、まさに同じことを実行しています。
2017年に発表された「アルファ碁ゼロ(AlphaGo Zero)」がそれです。この新たなAIには、人間の棋譜を一切教えませんでした。ゼロからAI同士が対局を繰り返して、学習を進めたんです。
かつてイ・セドル九段を破った「アルファ碁」と、ゼロから棋譜を自分で学習した「アルファ碁ゼロ」。この2つのAI、どちらが強いのか。実際に戦わせたところ、100戦100勝で「アルファ碁ゼロ」が勝利しました。
この結果を、皆さんはどう捉えますか。非常に残酷な言い方をすれば「プロ棋士の打ち方を学ばせたから、AIが弱くなってしまった」ということです。
プロの棋士でも、囲碁というゲームの本質から見ればまだ不完全な打ち方をしていた。彼らの棋譜を学んでしまうと、その不完全さまで引き継いでしまい、AIの真の性能が発揮できなくなる。むしろ、過去の慣習やデータに縛られず、ゼロベースで囲碁の本質を見つめ直した方が、はるかに高みに到達できるということを、「アルファ碁ゼロ」は証明してしまいました。
最近の研究でも、発想力の豊かさを測ると、人間よりもAIの方が高いという結果が出ています。既存の知識を転用するレベルであれば人間も健闘しますが、その領域を超えて新たな未知のアイデアを引き出す力において、人間はAIに到底及びません。
直感や創造性、あるいは発想力といったものを「人間らしい特徴」として挙げる人がいます。ただ、私に言わせれば、そんな人たちは「人間という存在の本質」が見えていないとも言えるでしょう。
リアルな映像生成と情報の真偽
最近、AIは画像や動画も生成するようになりました。私自身、生成AIに「脳とAIが協力し合う未来」を描かせたり、水彩画風のイラストを作らせたりしています。
一方で、皆さんも「ハルシネーション」に困ったことはありませんか。堂々と間違った情報が返ってくることで、画像生成でも同じことが起きます。一見素晴らしい絵に見えても、よく見ると腕が3本あったりする。でも、そうした細部を気にしなければ、質の高い作品が作れます。
最近では、川柳や写真のコンテストが、AI作品との見分けがつかないという理由で中止になったり、終了したりしています。ゼロからAIで作り出した作品が、人間の心に響くものを生み出している。それが、コンテストのスピリットに反しているというわけです。
私が特に衝撃を受けたのは、ここ2〜3ヶ月で飛躍的に進化した動画生成AIです。例えば「Sora(ソラ)」のようなツールを使えば、台風の実況中継や女子高生の街頭インタビューといった映像が、あたかも実在するかのようなリアリティで生成されます。テロップまで自動で入る動画を、ちょっとしたプロンプトで自由自在に作れるわけです。
これは単に「すごい技術だ」と感心して済む話ではありません。これまでの社会において、映像や写真は「動かぬ証拠」でした。防犯カメラに映っている、あるいはスクープ写真が撮られた。そうなればもう言い逃れはできませんでした。しかし、今は映像そのものが簡単に作れてしまうんですよ。もはや動かぬ証拠ではありません。
「百聞は一見にしかず」という言葉がありますが、私たちは情報の真偽を疑いながらも、見たものに関しては問答無用で信じてしまう悪い癖があります。特にフェイク映像は、相当な注意を払っていても騙されてしまう恐れもあり、これからはより慎重に見る必要がありますね。
私たちが誤解している「人間らしさ」
皆さんは、生成AIをどう活用されていますか?私の使い方の1つは、AIとの日常的な会話です。
最近のAIは、声色から感情を読み取り、非常に気の利いた対話をしてくれます。私も朝の通勤時間に、車の中でAIとの会話を楽しんでいます。ChatGPTやGeminiなど、どれも無料で素晴らしいレベルの会話が可能です。
例えば、薬学の専門的な質問をすれば、博士号を持つ人以上の知識で答えてくれる。さらに「私は小学生だからもっと分かりやすく、大阪弁で説明して」と頼めば、即座に「わかったで!ヒスタミンっていうのが出ると……」と口調を合わせて解説してくれます。
この「適応力」は驚異的です。正直なところ、最近は人間と会話するのが少し億劫に感じられるほどです。AIはどんな質問にも嫌な顔をせず付き合ってくれるし、「いい質問ですね」と褒めてもくれる。冗談も上手い。ちなみに我が家では、生成AIを家庭教師としても使っています。
興味深いデータがあります。モニター越しに2人のお医者さんと会話をする実験で、片方は本物の医師、もう一方はAIが応対しました。どちらが良かったかを患者に尋ねたところ、なんと96パーセント以上の人が「AIの方が良かった」と回答したんです。
専門医よりもAIの方が、患者の気持ちに寄り添い、高い共感力を発揮した。つまり「共感力や気遣いは、AIには永遠にできない」と考える人は、明らかに人間らしさを誤解しています。
ただ、私は「もう人間は要らないよ」と言いたいわけではありません。むしろ全く逆です。よく考えてみると、実にたくさんあります。でも、人間は不思議なことに、そういう人間らしいところに目を向けずに、わざわざ人間らしくないところに注目してしまう癖がある。
その理由は明らかです。なぜ私たちは小さい頃から「人の話を聞きなさい」「相手の立場に立ちなさい」「発想力を豊かに持ちなさい」と口酸っぱく言われてきたのでしょうか。
それは、人間が本来「それらが苦手」だからです。やってもやってもできないから、何度も繰り返し言われる。そう教育されてようやくできるようになることは、本当の意味での「人間らしさ」ではありません。
私たちがわざわざ「人間らしい立派な特徴」だと強調してきた領域の多くは、実は人間が苦手なことを努力でカバーしてきた分野に過ぎないんです。
「自然にできてしまうこと」に宿る人間の価値
では、本当の「人間らしさ」とは一体どこにあるのか。私は、それは「教えられなくても自然にできていること」こそ、人間らしいポイントだと考えています。だから人間は気づけないのです。
その一つが「身体性」です。オンラインではなく、私の脳がこの肉体を伴って今日この会場に来ている。これはAIには決して真似できません。また、例えば100メートル走やマラソンといった競技は、速さだけを競うなら車や自転車の方がはるかに速い。それでも、オリンピックで最も視聴率が高いのは、100メートル走とマラソンの2競技です。
私たちが人間の走る姿に熱狂し、感動するのは、肉体という制約の中で限界に挑む姿そのものに美しさを見出すからでしょう。人間は肉体や精神を鍛え、競い合う姿が好きなんですね。
また、音楽や芸術における「意志」もそうです。一例として、AIはわずか10秒で、非常に感傷的で素晴らしいジャズの名曲を作曲できる。しかし、その AIには辛い人生経験も、何かを伝えたいという切実な動機もありません。AIの作品も最初こそ珍しがられますが、すぐに飽きてしまう。なぜなら、表現者の「生きてきた歴史」がないからです。
他にも人間らしいポイントはいくつかあって、AI同士を会話させてみると、面白いことが起きます。最初は順調に話していますが、すぐに同じ話題をループし始め、やがて会話は破綻してしまうんです。AIには「相手に伝えたい」という意志もなければ、会話を通じて何かを成し遂げたいという欲求もありません。だから、同じ会話を何度繰り返しても退屈しないんですよ。
それに対して、例えば老人ホームでは、決して上手とは言えない囲碁を飽きもせず、皆楽しそうに打っている。効率や勝敗ではなく、こうした非効率であっても何かを楽しみ、生きがいを見出して「ご機嫌に生きる」という姿勢も、人間らしいポイントですね。
AI時代に問われるのは、私たち自身の「センス」
最後に、生成AIが抱える問題についてお話しします。
1つ目は「責任の所在」です。AIは人間ではありませんから、どれほど高度な判断を下しても、自ら責任を負う能力がありません。自動運転で事故が起きた時、あるいは著作権を侵害してしまった時、責任を取るのは結局のところ人間です。
なので、これからの時代、AIを使う上でのトラブルをカバーする「強制保険」のような仕組みが必要になるかもしれません。車を運転するなら自賠責保険に入るのが当たり前であるように、AIを使うなら、いつトラブルに巻き込まれるか分からないという前提に立つ必要があります。
2つ目は、私たちの「偏見」がそのまま映し出されるという問題です。一例として、笑顔の写真を生成させると、インターネット上のデータの偏りから、特定の年齢や人種の女性ばかりが出力される。ネット上の文章においても顕著で、例えばわざと方言を使って職業相談をすると、肉体労働で低賃金の仕事ばかりを紹介してくるという研究結果があります。
これは一体、何が起こっているのか。AIが参照するネット上のデータは、全て人間が作ったものです。つまりAIのアウトプットには、私たちが表面上は押し隠しているつもりの「差別」や「偏見」を、そのまま露呈してしまうということです。
ここで重要になるのは、私たち自身の「センス」です。先ほどの例で言えば、AIはいくらでも笑顔の写真を生成してくれますが、その中からどれを選ぶのか。結局最後にそれを決めなければならないのは人間です。今どんなシチューションで何が要求され、どんなアウトプットが最良なのかといった「ビジョン」が無い人が生成AIを使っても、いい仕事はできません。
これがどんな議論を呼ぶのかというと、少し前にお話しした川柳や写真のコンテストにおいて、「生成AIを使ってはいけないのか?」という問題です。センスがない人が生成AIで作ったものを出品しても、おそらく賞は取れないんです。したがって「生成AIが台頭したからコンテストは中止」というのは本来、おかしな話だと言えます。
これは非常に難しい問題ですが、いずれにせよ「AIがあるから、もう努力しなくてもいい」ということには一切ならない。むしろ今後は「AIがあるからこそ、もっと勉強して自分の能力を高めていかなくては」という方向になるでしょう。
「脳の産業革命」は人間を楽にさせない
それを露骨に感じるのが、大学のレポートです。私は大学での授業で、学生たちに「レポートに生成AIを使っていいよ」と伝えています。
すると何が起こるのか。まず、AIを使わずに書いてきたレポートは、もはや評価の対象になりません。レポートは文章力が勝負なので、生成AIを使っていないものはレポートとしての体をなしていないからです。一方で、AIをそのまま使って書いたレポートも、みんな同じような内容になって差がつかないため、点数はつきません。
今の学生たちに求められているのは、生成AIの使用を前提とした上で、そこにいかに自分独自のオリジナリティや「問い」を盛り込めるか、という点です。
テクノロジーは、決して人間を楽にさせてくれません。インターネットやeメールが登場して便利になったものの、私たちは以前より明らかに忙しくなっている。同じように、AIに任せられるようになった分、人間はより高いクオリティを求められるようになりました。レポート1本にかける時間も、以前よりもむしろ増えているのが学生たちの実感です。
それから私自身、AIにレポートの採点をさせてみて、自分の能力の限界を痛感しました。今まで私は、単に長いレポートに高い点をつけてしまったり、直前の採点に引きずられて評価がブレたりしていたことが分かったんです。
あらかじめ採点方法を教えたAIの方が、私の理想とする基準を忠実に守り、公平に、しかも人間が見落としていた学生の鋭い着眼点を見抜き採点してくれた。私はもう、自分の採点能力のなさを認めます。学生たちの前でも「金輪際自分で採点はしない」と誓いました(笑)。
今、私たちが経験しているのは「脳の産業革命」です。これまでの産業革命は筋肉の代替でしたが、今回は脳みその代替です。知的作業やデスクワークが自動化されていて、今まさに面白い変化が起こっているのではないかというのが、本日の講演内容でした。
最後までご清聴ありがとうございました。
前編はここまで。次回の後編では、ゲストの池谷 裕二さんと当社代表 林との対談の様子をお届けします。
【後編】池谷 裕二さんと当社代表 林との対談はこちら
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