「ひらめき」はデザインできるのか? イグノーベル賞受賞者と語る、研究は「支援」から「共創」へ【前編】

パートナーズの皆さまと私たちシックスハンドレッドホールディングスが、共に研究環境の新しい未来を作っていくため、共に学ぶ場として定期的に開催するスキリングイベント「PARTNERs LEARNING」。
第12回を迎えた2024年4月18日のイベントでは、2024年にイグノーベル賞「生理学賞」を受賞された武部貴則さんを迎え『「ひらめき」はデザインできるのか?イグノーベル賞受賞者と語る、研究は「支援」から「共創」へ』をテーマに、イベント前半は武部貴則さんの講演、後半は当社代表 林との対談が行われました。
本コラムは、当日イベントに参加できなかった方や、参加後に改めて内容を整理したい方、また今回のテーマに少しでも興味を持っていただいた方を対象に、当日のリアルな対談内容をお届けします。
前編では、ゲストの武部貴則さんによる講演をお届けします。
Bridging Invention to Innovation in Biomedical Science
医師を志した原点と、アメリカで受けた衝撃
丁寧なご紹介、誠にありがとうございます。私は普段、大阪大学をはじめ、さまざまな大学で仕事しているんですが、今回はどちらかというと、個人的な知見を中心にお話させていただければと思います。
私自身はもともと医学部の出身で、6回生になるまでは臓器移植の手術を行う外科医になりたいと思っていました。ところが、日本では臓器移植をめぐる環境が非常に厳しい。脳死に至る事例が少ない文化的背景や、臓器提供への心理的なハードルなど、アメリカに比べると臓器移植の実例が非常に少ないのが現状です。
そうした事情もあり、私はアメリカに留学し、本格的な移植医療のトレーニングを受ける決意をします。現地で初めて患者さんを担当することになるのですが、なんと日本人でした。アメリカまで臓器移植のために渡航しなければならなかったこの患者さんの存在に、私は大きな衝撃を受けます。日本では生体肝移植が主流で、家族の肝臓の一部を切り出して移植する手術が行われます。しかし、彼はそれすらも適応外で、日本では治療の道が絶たれていました。
私自身はもともと医学部の出身で、6回生になるまでは臓器移植の手術を行う外科医になりたいと思っていました。ところが、日本では臓器移植をめぐる環境が非常に厳しい。脳死に至る事例が少ない文化的背景や、臓器提供への心理的なハードルなど、アメリカに比べると臓器移植の実例が非常に少ないのが現状です。
自分がアメリカでいくら腕を磨き、トレーニングを積んでも、いざ日本に帰った時に救えない患者さんがいる現実。医師として目指していた道が、想像以上に困難なものであることを思い知らされ、ひどく打ちのめされます。それをきっかけに、私は日々患者さんと向き合う臨床の道から一歩距離を置き、より根本的なアプローチで患者さんを救うべく、研究の道に進むことを決意しました。これが、臨床医から研究者へと大きく転換を図った経緯です。

iPS細胞との出会いと研究への転身
私が研究の道に進む大きな後押しとなったもう1つの出来事は、山中伸弥先生による「iPS細胞」の発見です。2007年のことで、私はまだ医学部の学生でした。仮にiPS細胞で臓器を育てられるのなら、先程の患者さんも日本で治療できるかもしれないと考えたんです。
アメリカでの留学経験、そして日本の医療環境の現実を目の当たりにしていた私は、自然に「この技術に賭けてみたい」という気持ちが芽生えます。2011年に医学部を卒業すると、そのまま再生医療の研究を始めました。
大学の研究室では2~3年ほど、肝臓の研究に取り組みました。その後はいろんな方とのご縁があって2015年に独立し、現在は国内に5つ、アメリカに1つのラボを持ち、幅広いテーマに取り組んでいます。1年の半分はアメリカのラボで過ごし、残りの半分で日本のラボを運営しているといった状況ですね。
実はつい先日も、iPS細胞を用いた「ミニ肝臓」の作製について、その成果を発表しました。今後は人工肝臓に進展させ、肝不全などの治療法として実用化を目指します。

「腸呼吸」研究の取り組み
いろんな研究をしていますが、一貫しているのは、臓器を失った患者さんに、その機能を補うような新たな治療法を届けることですね。学生時代には、耳ができない、鼻が形成されないといった子どもの先天奇形に対する再生医療の研究に取り組みました。その後、肝臓を中心とした臓器再生の研究に軸足を移し、最近ではAIや情報科学といった新しい領域との融合にも挑戦しています。
中でも、皆さんにご紹介したいのが「腸呼吸」の研究です。肺の機能が失われた際に、ドジョウのように腸を介して酸素を取り込むという、全く新しい呼吸法の可能性を探っています。このアイデアは突飛に聞こえるかもしれませんが、実際にマウス、ラット、ブタといった動物モデルで成功を収め、ついには人間を対象とした安全性確認試験にまで到達しました。この研究が評価されて、2024年にはイグノーベル賞という、ユニークな研究に贈られる賞もいただきました。
私たちのラボは、基礎研究を徹底的に追求する場であり、実用化はあえて自分たちの手では行わず、成果が実用段階に近づいたらスタートアップ企業などにバトンを渡す方針を取っています。例えば、アメリカのスタートアップでは新たな治療薬を世に出す準備が進んでおり、また腸呼吸の技術についても臨床試験フェーズに入りつつあります。
こうした新しい挑戦を支えるために、医療とクリエイティブをつなぐ「株式会社オープンメディカルラボ」という組織も立ち上げました。私はCEOを務めています。この会社を介して、クリエイターの方とヘルスケア領域のイノベーションを作っていこうと考えています。

インベンションとイノベーション
今日の講演では、私たちが普段取り組んでいる研究そのものというよりも、少し視点を広げた話をお届けしたいと考えています。特に「ひらめき」をテーマに活動しておられる皆さんにとって、何かのヒントになればと思い、3つのトピックを用意しました。その核となるのが、「インベンション」と「イノベーション」という2つの考え方の違いです。
インベンションとは発見や発明のことです。新たなものを世に送り出す原点であり、アートのように直感的で、時に理解不能なものです。一方、イノベーションとは社会実装、すなわち社会を変えるためのプロセスを指していて、誰もが使いたい、役に立つと感じるような、最適化された形状に落とし込むことが求められます。私は、そもそも発想の起点が異なるこの2つを明確に分けて考えることが、極めて重要だと思っているんです。
アカデミアにいる私たちにとって大切なのは、まずインベンションを生み出すこと。社会のニーズを起点とするイノベーションに対して、インベンションはシーズドリブンに作り上げていくもので、直感や好奇心が大事な世界です。例えば、私たちが取り組んでいる腸呼吸の研究などはかなりインベンティブ寄りで、お尻から酸素を入れるという、ちょっと常識から逸脱したような発想で、一般的な考え方だけではたどり着けない領域です。
科学の世界では、よく「仮説があって初めて生まれる」と言われますが、素晴らしいインベンティブというのは、仮説自体が新たに次々と生み出されていくものです。だからこそ、飛び抜けたインベンションには、ある種の混沌や説明不可能さがつきまといます。
もちろん、インベンションだけでは世の中に届きません。そこから先は、イノベーションという社会への橋渡しが必要です。例えば前述の「ミニ肝臓」や大阪万博で話題の「ミニ心臓」などは、これからのやるべきことが明快なのでイノベーション寄りの研究ですね。
我々のラボでは、インベンションとイノベーションを意識的に切り分けながら、「新しい概念を創造する」ところから出来上がった技術基盤を世に送り出すべく「バトンを渡す」ところまで、日々取り組んでいます。

スモールチームとラージチーム
インベンションとイノベーションはどう進めていくと効果的なのか。それを考えるにあたり、もうひとつ非常に重要なポイントがあります。それは「チームの規模」です。
私は、インベンション、つまり全く新しい概念を生み出すような作業は、できるだけ小さなチーム、時にはたった1人で行うべきだと考えています。一方、イノベーション、つまり社会実装へと進めるプロセスは、多くの人を巻き込んで進めなければなりません。
この違いは、研究の世界でも明確に見て取れます。たとえば、山中伸弥先生がiPS細胞を発見したとき、最初の論文の著者はわずか2人でした。このような世界的なトップジャーナルに掲載される論文には、10~20人ほどの著者がいるのが普通です。逆に、iPS細胞を実際に患者さんへの治療に応用する段階では、数十人規模の大きなチームが関わっています。
スモールチームは「飛ぶ」ことができます。小さなチームであればあるほど、常識を疑い、フィールドを変えるような大胆なジャンプでも許容されてしまうんです。誰からも文句を言われず、自分たちの感覚を信じて突き進める環境があるからこそ、突拍子もないアイデアが形になりやすい。一方、大規模なチームでは、慎重さやコンセンサスが求められます。それはそれで大切なプロセスですが、飛躍的な発明には適していません。
そして、新しい概念を作り終えたら、そこから先は1~2人では世に届かない。社会実装に向けて、さまざまな業界の方々と連携しながら次なる橋を作っていく、ラージチームでディベロップしていくということが必要です。このように、緩急をつけて支援できるような環境をどう作っていくのか、今後よく考えていかなければならないですね。

インベンションからイノベーションへの変換はどう起きるか
では、インベンションからイノベーションへの転換点はどうやって見極めるのかというと、これが非常に難しい。なぜなら、すぐにイノベーションに直結しないことがほとんどだからです。インベンションが生まれてから30年以上かかる時もあれば、iPS細胞のように数年でいきなり世界が開けるケースもあります。研究職の方々が「何をやっているのか分からない」と言われ続けてしまうのは、これが原因ですね。
では、インベンションがイノベーションへと変わるきっかけは何か。それは「社会が変わった時」です。社会の構造やニーズが変わったり、あるいはどこかの大統領が変わったりすることで、それまで価値を見出されなかった発明が突然脚光を浴びる時があります。その要因は、実にさまざまです。
そのため、インベンションを寝かせておかなければならない時もあれば、急激にイノベーションに変わる時もあるといった、柔軟な考え方が必要です。今後、いろんなことを考えていく中で、社会との関係性を理解した上で、インベンションとイノベーションの両方を見ていくことが、企業の皆さんにとって非常に重要だと考えています。
医療の未来を変える「ハピネスドリブン」のまちづくり構想
私は医療の未来を考える上で、これまでとは違う視点を持つべきだと強く感じています。今までの医療は健康を守ること、すなわち「ヘルス」を主眼に置いてきました。しかし、寿命が延び、生活様式も変わった現代社会では、単なる健康維持だけで人々の真の幸せにはつながらない。そこで私たちが注目しているのが「イネーブリング・ファクター」という概念です。
これは、人々が健康(ヘルス)だけでなく、幸福(ハピネス)も向上させるための要素を、具体的に示したものです。私たちは、イネーブリング・ファクターのバラエティを研究しています。
例えば、自治体と連携した「幸せであり続けるため」にまちづくりをデザインする取り組みです。駅の階段に「あと〇段で△kcal消費!」と書かれたポップを設置するだけでは、人々の行動は変わりませんでした。一方で、フォルクスワーゲンが作った、踏むと音が鳴る仕掛けを施した「ピアノ階段」では、なんとエスカレーター利用者が大幅に減り、みんな楽しんで階段を使うようになったのです。この違いは「楽しさ」=「ハピネス」の有無にあります。
同じタッチポイントなのに、ここまで効果が変わるんですよ。まさにマーケティングの力です。「ポケモンGO」も同じで、ユーザーは40代が多く、かなりの距離を歩いているそうです。高齢者の方も、認知機能の改善や社会活動の増加、あるいは孫とのコミュニケーションで言葉がたくさん出るなど、もうこれ自体が「医療」でいいじゃないかと私は思うんですよ。
これからは「ヘルスドリブン」ではなく、イネーブリング・ファクターの中の「ハピネスドリブン」の数を増やしていくことで問題解決できると考え、まちづくりに取り組んでいます。具体的には「ハッピー」と「アンハッピー」を町中から集めてデータ化し、それを街づくりに活かすプロジェクトを進めています。
実際に、愛知県蒲郡市では「蒲郡市イネーブリングシティ基本計画」を策定し、市民の幸福と健康を高める取り組みを始めました。単なるスマートシティではなく、もっと人間らしい温かみを持った「イネーブリングシティ」を目指して、今後さらに研究していきたいと考えています。
今回お話した内容は私見ですが、一部でもお役に立てれば幸いです。ありがとうございました。

前編はここまで。次回の後編では、ゲストの武部貴則さんと当社代表 林との対談内容をお届けします。

【後編】武部貴則さんと当社代表 林との対談はこちら
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